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人を拝まず、哲学と信心。



 
哲学と信心があれば、他に必要なものは無い。


まっとうな意味でそれがなされれば、宗教はその部分集合となる。


 
あってもよし、なくてもよし。 されど、なければさらに吉。


 
なぜなら、人を拝んでは ならないからである。




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