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天の子              [文蔵]


  最悪の状況でも、心 を失ってはならない。  この世の 脳 が混乱しても、心は 天 と通じているからだ。       この世に負けてはならない。


神の望まない経済成長              [苔の生すまで]


 なぜ世界経済が低迷しているのかと言えば、それはこちらから見れば明々白々の事で。 神がそれを望んでいないからだ。  自然の創造主である神という二段論法を出さなくても、我が日本においては自然そのものが神である。  これは何千年か遡れば地球上全ての地域で共有されていたもので、いささかも新参の突飛な感覚ではない。  市場には神の手が宿るという向こうの理屈を、逆手に取ろう。  人類文明、もしくはそこでいまや神のように崇められる 経済 を。  神は、疑問に感じておられる。


病院の坊主とオカマ              [才蔵]


 少し年上の知人が居た。 一時期、友人としてもいいようなやり取りがあった。 その時期、深い話も出来るかけがえのない存在と感じていた頃。 彼は、坊主になった。 八十年代後半の事と、記憶している。 ああ、またそこに逃げたか。 正直、そう思った。 同じく深い話の許された二人の友人はそれぞれ、新興宗教のグレーゾーンに居るものとキリスト教に帰依した。 楯も持たず、思うところを外連味(けれんみ)なくぶつける。 セメントの相手が、居なくなった。 帰依するとは、全て分かった(かのような)立場から相対そうと言う事で。 フェアなやり取りは、無くなる。

 教祖の日蓮の映画だと言って、中村なにがしの映画を見せられた。 日蓮の凄まじさについて、異論をはさむつもりはないが。 映画を見た印象は、人が死にそうだからと言って枕元で必死にお経を唱える坊さんと、上人様とホモのようにまとわりつく弟子だった。 

 坊主とお経は、人が死んでからのものだろう。 いまや葬式産業と化した日本の既存仏教界、坊主が屏風に、、、ではなく、坊主が病院に居たら、どう感じる? あの頃の仏教は、生きていたのだと。 うらやましく思う。 しかしこの知人の坊主は、他宗派でも頼まれ葬式坊主をするという。 

 先述したが、日本仏教は浄土真宗を除き明治まで妻帯が許されず当然、世襲も無かった。 ひとケタの年の頃から、男ばかりの世界だけで生きる。 業、カルマ(karma) がオカマになっても、不思議は無いような気がする。 その件の知人によれば、額に入った言葉に、いやに肉欲の戒めが多いと言う。 人里離れた男だけの社会でどうして、ことさら淫らな行いを戒める言葉が続くのか。 


カトリックとプロテスタント、偶像崇拝とイスラム          [文化の日]


 日本が長崎で相手にしたのは、まずポルトガル、ザビエルのスペイン。 ルネサンス後のヨーロッパの隆盛が、鉄砲とキリスト教になってやって来た。 あちらから見れば、宗教革命、プロテスタント革命の直後である。 続いて日本が相手にしたオランダ、幕末のイギリス、そしてアメリカは。 総じてプロテスタントである事を、興味深く思う。

 免罪符あたりを大金で取引していたというようなキリスト教界に対し立ち向かった宗教革命 プロテスタント には、共感するところがある。 昭和三十年代の質素な民家を使った、マリア像の無い教会を思い出す。 金満聖職者を告発するなら誰でもできるだろうが、偶像崇拝の禁止をその存在理由にする。 釈迦もイエスもムハンマドも禁じた偶像崇拝、これを今も厳に禁じているのは プロテスタント と、イスラムだ。 

 このイスラムとプロテスタントの国が激しく血を流し合うのは、不思議だ。 共産主義と資本主義ではない。 偶像崇拝の禁止という、見上げたところで一致している両者が ここまで対立するのは、双方の宗教者にとって見過ごすことのできないはずの事だ。 

 造り物の宗教的な像に有り難く手を合わせ、拝む。 かろうじてこれをやっていなくとも、しかし偶像が社会で大いに幅を利かす。 資本主義社会、メディア社会。 プロテスタントの国々が主導してもたらしたようにも見える。  ひいては、物質の世界と精神の世界を明確に区別してとらえる感性の問題に繋がる。 


追記:
もとより神道、仏教の影響が社会的に強い日本では、こんにちカトリックとプロテスタントはそれなりの範囲で拮抗した状態である。


イスラムの酒              [文化の日]


 酒の境地も、捨てがたい。 こちらは お上 が酒を認めているが、イスラムではこれを禁じ。 ホメイニ は、 ハシシ は身を清めると言った。   どちらかを選ばなくてはならないような 地球幼年期 は、早く終わりにしたいものだ。 


科学脳を包括する、哲学脳 [文化の日]


 産業革命以降、今日までの社会変革を 近代科学テクノロジー革命と称したい。 人類を一つの体ととらえれば手足とその五感を、人の体の外に科学で作り出したサイボーグ技術で飛躍的に発展させたのが現代だろう。 頭の一部も、科学脳というところではいい線をいっている。 

 知り得たことで判断し、手足が出来る事のおもむくままにせず、むさぼらない。 日本では縄文の時代に常識だった。  人の頭が重くなり、一度でんぐり返った 哲学脳 が求められる。


 テーブルマナー – 所作、作法             [文化の日]


 食べる事は、そもそも いやしい。  人様の命を戴いて、快感まで得る。  だからこれをいかに いやしく 見せないかに腐心したのが、 テーブルマナーというものだろう。 

 見えない いやしさ にいやしい者が、みな非のうちどころがない テーブルマナー を持ち備えている。  これを末法というのではないか。  現実は常に極と極の中間にあるが、今どちらの極に近いだろう。  人間なんてそんなものと言う、 子供なんてそんなものと言うに等しい。 


人類の宝               [苔の生すまで]


 同類であると言う事は、 種 として弱い と言う事だ。   病原体と免疫など考えるに、ひとつの種がすべて同類ならば。  生き残っていけない。  だからユニークな民族というのは、人類の宝 なのである。


与えられた 眼鏡              [文化の日]


 人間、長生きすればいつかは必ず 眼鏡 の世話になるものだと思う。 光学 の話で、これが無かった長い時代を。 いま思う。  光の屈折学、である 光学 は。 ガリレオ、ニュートンに少し先んじて、与えられている。 


文化は物差し – 対等と出世              [文化の日]


 人はそれぞれ、対等である。  憲法にそう書けばいいい。  どこがどう対等なのかを決めるのは、民族固有の文化である。

 Reality (現実) において、人が対等のわけがない。  しかしその基礎の部分で少なからず対等の部分がある、 というのが近代においてかろうじて我々がたどりついた。  うるわしき部分だ。  そこは、大切にしようではないか。

 文化 とは、人の元来持つ 対等 な部分と、 社会による 出世 の境界線を画す 物差し である。


The Organization Case              [文蔵]


 何らかの 入りと出 のある、人の活動による 組織 を。 広く Organization 格 と、呼びならわしたい。  会社、省庁、国。 夫婦、世帯、学校、クラブ、同好会。  ブラックボックス (Black Box) そのものであるこれらを見ると、さらに無生物的なものでもあたかも 人格 のような Organization 格 を持つのではないかと思う。 

 最小の単位は、人間では個人という Organization 格 で。 もとより、生命体とはたとえ単細胞生物であっても、ひとつの Organization 格 だ。  人のような人格を持つものは人間の所産であってそれが問題なのであり、それ以外は自然のすることで心配ない。


知人の人生              [文蔵]


 人の人生は、多くて百人ぐらいの人間との関わりで営まれている。 親、兄弟、夫婦、親戚。 親友、友人、知人。 知人の人生を、よく知っているのか。 


人を知る              [文蔵]


 知り合 や 友人 は、自分以外の人生を かい間 知る という事で。  小説と違うのは、現実としてその人格と接しているという事だ。 
 

 黒曜石とスパイスの貿易              [文化の日]


 その時代の黒曜石、スパイスを。 大陸を越えて海を越えて人が共有するのは、人のあるべき姿だ。  これだけの高みに立った人類なのだから、どれが黒曜石かスパイスか、しっかり見極めるべきだろう。  生鮮食料に、その資格があるのか。

 自然からいただいたものを、組織による加工と流通でやり取りするのは。 産業革命後の検証が、よく済んでからまっとうなものになる。  1969 年をさかいにして、近代テクノロジーにのって我々が行っている事に疑問を持つべきだ。 


 表彰台の経済              [文蔵]


 経済、金というものが生まれて以来。  こんにちのように無差別級のチャンピオンになったことがあったかは知らないが、 中世の免罪符が示す通り。  どんな極端な時代でも、表彰台からは落ちたことがないだろう。 


 話しと俳句              [文蔵]


 人が長々と話すのは、なにかの力関係か親子でなければあり得ない。 聞く側の背景までくんで、短くうったえたい。 読むのは自発的だが、聞くのはそうでない。 


 世襲              [原理運動]


 古代、中世と、人類は 世襲 を、当たり前のように受け入れていた。 フランス革命やロシア革命、明治維新も。  封建世襲を打ち破ったという事で、凄まじい。   しかし近代科学テクノロジーをとり込んで、経済、その派生形としての軍事、これらが ばっこ する。  世襲がまかり通りはじめ、またも 階級 をつくり出す。   民主主義の原理運動 は、 これに あらがう 。   近代とは、 なにか 。


 イスラム              [文化の日]


 イスラムは 回教 とも呼ばれ、 日本人にとっては何か分からないものだった。 種子島には宣教師が大航海時代から入り込み、宗教改革を経てアメリカに占領された身からすれば、 キリスト教には親しみがある。 しかし回教は、砂漠の妙な宗教だった。

 仏教が釈迦、キリスト教がイエス、 イスラム は ムハンマドである。 モハメットともよまれる。 聖徳太子と同じころ、アラビア半島にいた人物で。 仏教でいえば、玄奘三蔵の時代になる。 お経、聖書にあたるものは コーラン とよばれる。 ムハンマドの言葉とされ、ながく 口伝 で伝えられたそうだ。 それが書物にすることが許され、こんにちでは何か国語にもそれが訳されている。 コーランにはイエスもモーゼも出てくるし、十字軍がエルサレムを争ったように、キリスト教、ユダヤ教とイスラム教は近しい。 

 釈迦、イエスと同じく、マホメットは偶像崇拝を禁じ。 これを全宗派がいまも禁じているのは、見上げたものだ。 近親のキリスト教は、宗教改革でプロテスタントが出て偶像崇拝を禁じた。 プロテスタントは英国、米国と受け継がれたが。 そことイスラムの怒りの琴線が、大きな争いをおこす。 テロはやめてほしい。 同等の事をこちらはやられているんだ、と言うなら。 ポスト近代の住民は、よく聞き理解に努めたい。  イスラムについて偏見を持つのは、よくないし失礼だ。


 絶対の正義と、自然              [文蔵]


 絶対 を求める心が、善と悪で二分する。  正義、と言う。  

 この世で絶対なのは、この世が存在すると言う事だ。 

 この世は自然で成り立ち、だから自然は絶対である。 

 絶対を求め敬う気持ちは、まっとうだ。 

 自然を、敬う。


 乱暴な嵐              [文化の日]


 ゲリラ豪雨やら 竜巻 やら、雨の嵐に続いて。  雪の嵐 が襲いかかる。  冬の雪の世界でも、前代未聞の事が起こっている。  異常気象。  これが人類の活動によって地球大気組成に影響を及ぼし、その結果でなければ幸いだ。  有史においては異常、という事であれば。  有史によって培われた科学は、真摯に向き合うべきではないか。  ここに費やされるのは、真の防衛費と言っていいだろう。  人の帰属意識が 国 にとどまっていては、これは成されない。 


 顕示欲              [文蔵]


  自己顕示欲。  個人という Organization 格 として、人に知られたいという欲がある。  食欲、性欲を人の二大欲というが、 これに顕示欲を加えて。   人の三大欲、 としたい。 


洗濯              [文化の日]


 人の境界に存在する、衣類。  これをリニューアルする、洗濯。  近代革命前の人が手でおこなっていた時代を思い、感謝する。  電気洗濯機は、人の労役を軽くした。  これはかつて、女性の手によってなされていた。  ここが大幅に軽減された。 女性の社会進出。 共働きや一人世帯などと、簡単には言えなかっただろう。 


国益と正義              [苔の生すまで]


 国益は正義にかなうのか。  その伝の多い国には、問うてみたい。  国益は、正義か。


無意識              [文蔵]


 我々が意識している領域、これは氷山の見えている部分だという。  圧倒的に大きな部分が、無意識の領域として存在し。  その行動を支配しているという。  意識は見えない存在で、行動は目に見える。

 人の心 は 無意識 の世界で、その深い奥底で。 この世を主宰するものと、つながっている。


経済支配              [才蔵]


 お金でなければ、人は動かない。  経済の世界は、そういうものだろう。  人が金を得る時、先代からの遺産を受ける時か賭け事に勝った場合を除いては、 仕事 によっている。  金は高い方から低い方に流れるもので、ただ やる よりは仕事にして花咲じじいのように振りまけば、 人格まで支配する事ができる。  こんな不遜な話が出てくる。 


日本の仏教宗派              [文化の日]


 日本の仏教宗派は、奈良時代に少々。  平安の空海、最澄。  比叡山をもとに鎌倉期に法然、親鸞、日蓮、道元、栄西など繚乱し。  ほぼ、いまの仏教宗派を形作る。  焼香の回数やらなにやら、枝葉末節で うちはうちは 。  お釈迦様に行き着けば、 ひとつではないか。


国民の背番号 ← 携帯番号              [才蔵]


 家電は、セカンドネームで会員となり量販店で現金で手に入れるのがよいのだろう。  本は、本屋で買うのがよいのだろう。  電車は、切符で乗るのがよいのだろう。  固定電話の番号があれば、それを使うのがよいだろう。  携帯の時代になり、彼らは国民そのものを御する。  だから、そんな人間は要注意人物と見なされる。  固定電話の時代は、世帯どまりで。  ポイントカードで釣られれば、個人の 経済的活動 が丸見えになる。

 現在の名簿屋は、恐ろしく sophisticate されたクラウドで。  携帯の位置情報をもとに、行動も監視し出すだろう。 


食べる              [文蔵]


 食べる とは、植物、動物。 有機物。  人様の生命をいただくと言う事であり、この世の矛盾の 根源 である。  むさぼる と言う事が、いかにあるべき姿、目指すべき姿と異なるか。  ポスト近代、すなわち真打ち 近代 としては。  ここに存分に目を向けなくてはならない。


≪ なぜ有機物は存在するのか  ≫
http://bunkanohi.blog.so-net.ne.jp/2010-10-22


人前で端末をいじる              [文化の日]


 近代の置き土産といっていいこの携帯、スマホ。  通信端末をいじると言う事は、目の前に居る人より優先すべき相手が携帯の向こうに居ると言う事で。  半径数メートルの人が会話出来る 場 において、失礼な行為だ。  光の速度で動く通信も、人の体をそこに持っては行かない。  この違いを知ることが、近代からポスト近代への鍵になるのだろう。 

 スマホを人の性器に例えれば、人前でそういじるものではない。


≪ 会話と場 ≫
http://bunkanohi.blog.so-net.ne.jp/2012-01-02


国を Organization 格 たらしめる、行政府          [文化の日]


 Organization 格 である事そのものに価値があるというのが 国 で、宗教やスポーツなどなど、横軸でまとまる組織を圧倒している。  国の礎は、しかし民族であり、文化である。  行政府を、民族その文化がどう御していくのか。  ポスト近代の、要になりそうだ。  文化や民族のあり方を言うのであり、むしろ文化は多様なほど、人類として強い。


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