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体 が 楽              [才蔵]


 体が楽になる、という事に。 あまりにこだわり過ぎている。 この現実界は、物質界であり。 重いものを持ったり、それを運んだり。 そんな 労役に満ちている。 
 これが、近代科学テクノロジーの革命。 産業革命によって、機械に置き換わる。  それでもさらに Organization 格、組織は繁栄だけを追い求め。 今日がある。 

 それにもろ手をあげて賛成し、高級ジムで汗をかいている人々に申し上げる。 

 いっさいの労役に関わらない 王侯貴族 をどれだけ作るかが近代であるならば、 そんな近代は終わりにした方が いいだろう。



 子育てママのブルース              [才蔵]


 世の中は 現業 に満ちている。 重力の中で暮らし、その中で 物 によって生活しているのだから、当然 この世の中は 労役 に満ちている。 

 人類の発展は、世帯つまり家庭が分担を決めていたその父親的な部分を Organization 格 、企業体、法人とって代わらせ。 父親は Organization 格 の奴隷となる。 

 Organization 格 は この世の存在であるために、必ず 現業 部門を持つ。 しかし近代科学テクノロジーと資本主義は、クリックひとつが現業という法人格までを不気味に作り出した。 経済活動の現業現場からどれだけ遠ざかるかが、人の出世と組織の成長の証というのは おかしい。

 人が生きていくためには世帯の運営というのが不可欠で、子育ても含め女性、母親のすべきことは現業そのものだ。 ここがあまり変わらない。 子育てママのブルースは、世の中の現場を軽んずるブルースと同根ではないか。  


国民の背番号 ← 携帯番号              [才蔵]


 家電は、セカンドネームで会員となり量販店で現金で手に入れるのがよいのだろう。  本は、本屋で買うのがよいのだろう。  電車は、切符で乗るのがよいのだろう。  固定電話の番号があれば、それを使うのがよいだろう。  携帯の時代になり、彼らは国民そのものを御する。  だから、そんな人間は要注意人物と見なされる。  固定電話の時代は、世帯どまりで。  ポイントカードで釣られれば、個人の 経済的活動 が丸見えになる。

 現在の名簿屋は、恐ろしく sophisticate されたクラウドで。  携帯の位置情報をもとに、行動も監視し出すだろう。 


経済支配              [才蔵]


 お金でなければ、人は動かない。  経済の世界は、そういうものだろう。  人が金を得る時、先代からの遺産を受ける時か賭け事に勝った場合を除いては、 仕事 によっている。  金は高い方から低い方に流れるもので、ただ やる よりは仕事にして花咲じじいのように振りまけば、 人格まで支配する事ができる。  こんな不遜な話が出てくる。 


病院の坊主とオカマ              [才蔵]


 少し年上の知人が居た。 一時期、友人としてもいいようなやり取りがあった。 その時期、深い話も出来るかけがえのない存在と感じていた頃。 彼は、坊主になった。 八十年代後半の事と、記憶している。 ああ、またそこに逃げたか。 正直、そう思った。 同じく深い話の許された二人の友人はそれぞれ、新興宗教のグレーゾーンに居るものとキリスト教に帰依した。 楯も持たず、思うところを外連味(けれんみ)なくぶつける。 セメントの相手が、居なくなった。 帰依するとは、全て分かった(かのような)立場から相対そうと言う事で。 フェアなやり取りは、無くなる。

 教祖の日蓮の映画だと言って、中村なにがしの映画を見せられた。 日蓮の凄まじさについて、異論をはさむつもりはないが。 映画を見た印象は、人が死にそうだからと言って枕元で必死にお経を唱える坊さんと、上人様とホモのようにまとわりつく弟子だった。 

 坊主とお経は、人が死んでからのものだろう。 いまや葬式産業と化した日本の既存仏教界、坊主が屏風に、、、ではなく、坊主が病院に居たら、どう感じる? あの頃の仏教は、生きていたのだと。 うらやましく思う。 しかしこの知人の坊主は、他宗派でも頼まれ葬式坊主をするという。 

 先述したが、日本仏教は浄土真宗を除き明治まで妻帯が許されず当然、世襲も無かった。 ひとケタの年の頃から、男ばかりの世界だけで生きる。 業、カルマ(karma) がオカマになっても、不思議は無いような気がする。 その件の知人によれば、額に入った言葉に、いやに肉欲の戒めが多いと言う。 人里離れた男だけの社会でどうして、ことさら淫らな行いを戒める言葉が続くのか。 


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